遊ぼう 想いと想い出と共に

2019/2/28(木)
雨 曇り
九州福岡。

世ノ上 昇さんが、2019/2/23(土)亡くなられた。67歳。
四国は、愛媛生まれ。
大分育ち。
中津川フォークジャンボリー参加者。
岡林信康が好きだったと聞いてます。
始まったばかりの宮崎国富町ホッケストックミュージックフェスティバルだったと思う。
平田達彦さんの紹介で、はじめて、あいさつしたのは。
25年前。
その少し前の年に、有江と初めて見に行った中津江ミュージックフェスティバルで、同じライブを見ている。
岡林信康さんが、トリだった年。
その後、ムーンビームが、九州野外イベントに出始め、行くとこ行くとこ、世の上さんと会い、徐々に交流を深め、ムーンビームファンクラブ大分支部会長、会員番号1番となられた。
大分でムーンビームが、ライブの時は、必ず、見に来てくれ、福岡にも、足を伸ばしてくれた。上京後は、東京のライブにも、何度となく、来てくれた。
音楽好きが高じて、自ら、大分七瀬川自然公園チャリティコンサート「音遊び」を、毎年、開催。加えて「サウンド キャビン」というお店も開店し、大分地元、九州、全国から、多くのミュージシャンが、集い、歌う、機会を、場所を、提供してくれた。
上京後、ムーンビームの活動が休止、解散状態になり、その時の落ち込んでいた気持ちを察してくれて、よく電話で相談に付き合ってくれた。
「カッキン、兄弟やで、一人じゃないで」と。
ムーンビーム復活し、「いまここ」CDを出したとき、
「兄弟を越えた曲作ったね」と、言ってくれ、宮崎ホッケストックのライブでは、「いまここ」を歌ってるとき、ステージ脇に墨汁を用意し、ぶっとい毛筆で、歌詞を書く即興パフォーマンスを披露してくれた。
その時の作品は、国富法華嶽八町坂に飾られてあります。
福岡に帰郷してから、また、会う機会が多くなったころ、持病が悪化し、体調を崩されて、入院。2年前の暑い日の中津江ミュージックフェスティバルの時、ガリガリになった体で、見に来てくれ、皆を驚かし、しかも、「兄弟」のとき、フラフラな足つきで、ステージ前まで、踊りに来たときは、会場中が、仰天する程でした。
その後、なんとか体調を維持され、僕らと、遊んでくれました。
唐津波戸岬、宮崎ホッケストック、久留米発心コンサート、能古島ボンジョルノ アハーン、大分音遊び、有田サマーフェスティバル、、、等の野外コンサートや、ライブハウス、ライブカフェ、、等で、貴重な楽しい時間を一緒に過ごしました。
今年に入り、また、体調を崩され、心配していたところ、奥さんから、メールで、お知らせが入る。その日、病院に駆けつけ、また、ガリガリになっていた世の上さんと、握手、ハグ、笑顔で、次回、3/30の大分音遊びのことを話した。
力強く。
まさかの次の日。
赤坂TUPELOでライブだった。
リハーサルの順番待ち。
メールで、訃報の知らせは届く。
傍にいた矢野に、知らせる。
対バンのリハーサルの音が、遠くでなっているよう。

最後の最後まで、
音遊びきりましたね。
さすがです。
僕らは、あなたの想いを受け継ぎ、
あなたの想い出とともに、
音 遊 び
進みます。

ありがとうございました。

兄弟

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