平和と平和

2020/12/25(水)
曇り
九州福岡
福岡らしい天気が続いてます。
曇りが多い。
晴レの日が多い東京から帰った当時は、ドヨンとした天気に気持ちを持っていかれそうだった。戻って6年が過ぎようとしている最近は、慣れてきて当たり前になっている。
人間ってなんかすごい。
環境に適応して、慣れちゃうんだもん。
いいも悪いも、慣れちゃうんだもんね。
慣れてはいけないものもある。
先日、戦争の語り部の方とのコラボライブが、福岡大橋ジョナサンでありました。
母に、その話をすると、
「思い出したくもない」っと言われました。
大半の方々がそうだろうな。と思います。
嫌な記憶は、消し去りたい。
ずーっとそこにいちゃ、前に行けないもん。
雨の日、集まってくれた方々、誠にありがとうございました。
自分も、正直、聞きたい半分、聞きたくない半分。
気持ちを持っていかれるのが怖かった。
が、
聞いてよかった。
語り部のMさんは、昭和7年生まれ。
第二次世界大戦になる当時のことを、マゼランやコロンブス等、列国が我先にと、大陸を発見し、植民地を調べてた時代から、紐解くように語ってくれました。
列国からの圧力、日本という民族、何をしたか、何をされたか、をわかりやすく語ってくれました。

1945/6/19 夜、B29による福岡大空襲がありました。
空襲を逃れたMさんは、中学校へ行っていると、先生から呼び出され、
元気だったお兄さんが危篤の状態との知らせを受ける。
Mさんのお兄さんは、西新の私立中学校へ通ってました。
通学途中の赤坂付近で、不発だった焼夷弾が、爆発。
5日後に亡くなられたという。
油山絵原の火葬場にリヤカーで行くと、焼かれた骨が3つピラミッドのように山積されていたという。

8月、広島、長崎、原爆投下、沖縄戦、無条件降伏。
親戚の安否を確認しに、8月末、広島へ。
そこでは、焼かれた骨が何十もピラミッドのように山積されていたという。
敗戦後、
朝鮮戦争、勃発。
戦争で、経済成長した日本。

そして、最後に、平和に向けての言葉がありました。
人類には、「寛容」が大切、と、仰ってました。
許し合い、分け合い、助け合い、人類が一つになって平和の道を歩んでいく。
まるで、僕に、頑張れ!若者よ!と、言ってくれているように思いました。

Mさん、このときが初めての語り部だったそうです。
語ろうと思った時は、すごく勇気が必要だったと思います。
でも、語らなきゃ、いけないと、語らずにはいられない
何かが、
Mさんを動かしたのだろうと思いました。

我思う。
Mさんの息子世代の僕ら。
世界がどんどん見え始めてる50代の僕ら。
何ができる。
「戦争」、「勝った負けた」、という周波数に合わせたら、いけない。
思う壺。

平和の周波数に合わせよう。
今ある戦争(資本主義社会)と見せかけの平和を、
包み込む平和の周波数に。

この機会を与えてくれた
主催の松マリアッチ、マサシを始め、語り部Mさん、ジョナサンスタッフみなさん、
そして、来てくれた方々、ありがとうございました。
また、よろしくおねがいします。

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